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福岡地方裁判所 昭和63年(わ)628号 判決 1991年1月31日

主文

一  被告人を懲役三年に処する。

一  未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入する。

一  訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、金銭貸付け業務、各種事務用計器、車両運搬具のリース等及び不動産の売買を営業目的とする株式会社シー・エル・エージェント(以下、シー・エルという。)の代表取締役として同社の業務全般を統括し、主として個人金融、手形割引等の金融業を営んでいたところ、昭和五八年四月、同社と英国資本の外国銀行であるゼ・ホンコン・エンド・シャンハイ・バイキング・コルポレーション(香港上海銀行株式会社。以下、香港上海銀行という。)福岡支店との間で当座勘定取引を開始し、同五九年七月には当座貸越契約を締結して同支店から多額の融資を受けていたものであるが、貸越額が限度額をはるかに超える状態が続くようになったため、同六〇年一一月中旬ころ、福岡市博多区博多駅前四丁目一番一号日本生命博多駅前第二ビル六階所在の同支店支店長室において、同支店長の宮﨑六郎に対し、「支店長さん。もう私には返済の自信もありませんし、もうこれ以上差し入れる担保もありません。ひとつ銀行の方で自分の会社が振り出す約束手形に保証をして頂けませんか。手形保証をして頂ければ、その手形で他から融資を受けてシー・エルの勘定に入金致します。」旨申し出て手形保証を依頼し、宮﨑がこれに応じたことから、その後度々、手形保証を受けるようになっていたところ、宮﨑において、信用供与等同支店の業務全般を統括する支店長として、シー・エルの営業状態、信用状態が不良であり、同銀行の同社に対する信用供与がその限度額及び徴求済みの担保の総評価額をはるかに超えており、かつ、同社が多額の負債を抱えていて約束手形を振り出しても自ら決済する能力がないことが明らかな状況にあったのであるから、手形保証を行う場合には手形保証債務に相当する十分な担保を徴求するなど万全の措置を講じて銀行に損害を与えないよう誠実にその職務を遂行すべき任務を有し、被告人においても、宮﨑の右任務を熟知しながら、宮﨑と共謀の上、シー・エルにとっては同銀行の支払保証を受けた約束手形によって他から融資を受けあるいはこれを不動産購入代金の支払いに充てるなどすることによって当面同社の倒産を免れることができ、宮﨑にとってはシー・エルの倒産を回避することによって同銀行における自己保身を図れるなど、シー・エル及び宮﨑の利益を図る目的をもって、別紙一犯罪事実一覧表記載のとおり、同六一年七月三一日ころから同六二年三月一九日ころまでの間、前後六回にわたり、宮﨑において、その任務に背き、十分な担保を徴することなく、いずれも同支店において、同銀行の行員をして約束手形用紙に香港上海銀行福岡支店が支払保証する旨の保証文言を英文で記載させ、その他所要事項を記入させた上、その下段に宮﨑が同支店を代表して支払保証する旨の英文スタンプを押捺して英文で署名し、被告人において各振出人欄に株式会社シー・エル・エージェント代表取締役北川彰と記名押印し、もって、シー・エルを振出人とし、香港上海銀行福岡支店を手形保証人とする約束手形七通(券面額合計一一億円)を作成し、いずれもそのころ、同支店ほか三か所において、金融業を営む羽山武智雄に対し右各約束手形を交付し、もって、香港上海銀行に手形保証債務を負担させて財産上の損害を加えたものである。

(証拠の標目)(省略)

(争点に関する判断及び一部無罪の理由)

一  弁護人ら及び被告人は、各手形保証の事実自体は認めるものの、背任罪の成立については全面的にこれを争うので、以下、当裁判所の判断を示すこととする。

二  前掲各証拠によれば、昭和六一年七月三〇日の時点で、シー・エルは多額の債務を抱える赤字会社であり、香港上海銀行の同社に対する信用供与がその限度額及び徴求済みの担保の総評価額をはるかに超えており、同社の既存債務の弁済はいうまでもなく、新たに約束手形を振り出してもこれを自ら決済する能力が全くない状況にあったこと、被告人及び宮﨑においてこのような状況を十分に確認していたこと、本件で問題となっている約束手形は、福岡市中央区警固所在の土地の購入代金支払いのために振り出されたもの(昭和六三年六月二五日付け起訴分)を除いては、いずれも融通手形であり、右各手形の振出に際しては、シー・エルが振出人となるが、同時に香港上海銀行福岡支店が手形保証をなし、これを金融業を営む羽山武智雄が券面額で割り引き(割引料は別途シー・エルが準備する)、被告人において、右券面額と同額の割引金を同支店に入金するという約束であったこと、被告人から偽造手形を掴まされたくないという羽山の考えと、割引金を確実に同支店へ入金させようという宮﨑の思惑から、羽山の都合で場所を変えた時以外は、同支店の支店長室で右一連の行為がなされたこと、右の入金の事実を除けば、個々の手形保証に際して担保の徴求は一切行われていないこと、以上の事実が認められる。

三  このような状況下において、宮﨑がシー・エルに対して新たな貸付を行えば、貸付金回収の確実な手段、方法が講じられない限り、その貸付金の回収の見込みは全くないのであるから、支店長として重大な任務違背行為となり、又銀行に同額の損害を与えることも明らかであるから、背任罪が成立することは当然である。

本件では、シー・エルに対する直接の貸付ではなく、手形保証による信用供与が行われているが、手形保証は、新たな債務負担行為というにとどまらず、転々流通する不特定の手形所持人に対して手形振出人と同一内容の手形債務を負うものであり、いうならば他の民事上の債務と異なり、抽象的、絶対的な債務であって、人的抗弁が切断され、催告、検索の抗弁権もないなど厳しい内容の債務であるため、手形決済能力のない顧客のためにかような手形保証をなすことは極めて重大な任務違背行為であるといわなければならない。殊に、本件では通常の商業手形ではなく、融通手形が主として問題となっており、このような融通手形に手形保証をなすことは銀行員にとって通常考えられず、その任務違背性が高いというべきである。このような手形保証債務の特質に鑑みると、手形保証が行われても銀行に経済的損害が生じないとするためには、通常の保証の際に必要とされる程度の人的、物的担保の提供では十分とはいえず、例えば、定期預金のように決済期日まで確実に存在し、期日に直ちに換金できるような担保、もしくはこれに相当する経済的利益の提供が不可欠である。換言すれば、不動産等の担保の提供では流動性(即時換金性)に欠け、十分とはいえない。

四  本件手形保証によって、銀行に損害が生じているか否かという点について、検察官は、手形保証と同時に手形の券面額と同額が銀行に入金されていても、その入金額は、手形決済時までにシー・エルの他の債務の支払等に費消されており、このことは、手形保証がなされた時点で被告人及び宮﨑において十分了知していたのであるから、入金自体は、右保証債務に見合う担保とはいえず、手形保証により直ちに背任罪が成立すると主張する。

これに対して、弁護人及び被告人は、銀行は手形保証債務を負担するが、保証債務と同額の入金があるので経済的な損失を被らず、その後のシー・エルに対する融資は手形保証及び入金とは別個独立の行為としてなされたものであり、手形保証の時点で銀行に損害が生じていない以上、手形保証は背任罪を構成しないと反論する。

そこで検討するに、例えば銀行が顧客に資金を貸し付ける場合、顧客が右貸付金を借り受けると同時に、貸付金と同額の現金もしくはこれと同視しうる銀行小切手を銀行に交付すれば、経済的観点においては銀行に損害が生じていないことは自明の理であり、この理は、顧客の信用状態が健全かどうかによって変わるものではない。検察官は、顧客の信用状態が悪化している場合は、入金は担保としての価値を有しないと主張するが、現金は占有が価値を体現しており、財産的価値としては、他の債権と異なり、これを取得することによって直ちに額面どおりの現実的価値を取得することになるのであって、右入金が手形決済資金の担保として差し入れられたものであるか否かは問題ではない。この点は、定期預金等について、それが手形決済時の担保用として供されたものであるか否かが問題とされるのとは異なる。

従って、右入金が爾後銀行においてどのように処理されるか、すなわち従前の債務の弁済に充当されるのか、あるいは手形決済資金の担保に供されるのか等は、損害の有無の判断に影響を与えるものではない。

しかしながら、ここで注意すべきは、銀行に損害が発生しないというためには、貸付金と同額の現金もしくはこれと同視しうる銀行小切手の入金が現実になされなければならないということである。入金という形を取りながら他方で直ちにその全額又は相当額が顧客に返還されるのであれば、いわゆる見せ金にすぎず、真実の入金があったものと解することはできない。すなわち、入金当日に現金、小切手あるいは他行への振替送金の形で入金額の全額又は相当額が銀行から顧客へ流出しているのであれば、入金とは認められない。

この考え方は、貸付の場合のみならず、本件のように手形保証による信用供与が行われた場合においても当然妥当するものである。

以上の次第で、手形保証と同時にいわばこれと引換えに手形券面額と同額の現金が銀行に入金されれば、銀行において、爾後これをどのように処理するかにかかわらず、負担した債務と同額の利益を引換えに得ているのであるから、銀行に経済的な損害は生じないというべきであり、このような事情がある場合は、手形保証は背任罪を構成しないというべきである。

そこで、以下、この観点から、個々の手形保証について検討する。

五  まず、別紙一犯罪事実一覧表番号5の二通の約束手形に関する手形保証(昭和六三年六月二五日付け起訴状記載の公訴事実)についてみると、これらの手形保証に際して、手形券面額と同額の入金がなかったことは関係証拠上明らかであり、弁護人らもこれを争わない。従って、これらの二通の約束手形に関する手形保証がいずれも背任罪を構成することは明らかである。

爾後における、右各手形の決済は、損害の填補がなされたというに過ぎず、損害が発生したという右認定を左右するものではない。

なお、弁護人らは、これらの手形保証について、被告人は福岡市中央区警固所在の土地の転売によって一挙に経営状態の挽回を狙っていたもので、香港上海銀行に損害を加える意思はなかった旨主張し、被告人も当公判廷においてこれに沿う供述をするが、前判示のとおり、手形保証行為が明らかな任務違背行為であり、手形保証と同価値の担保等の提供をしていず、期日に手形債務を決済できないことを被告人自身十分認識していたのであるから、仮に弁護人主張のような事実があったとしても背任罪の故意を否定する事情とはいえず、右主張は採用できない。

六  次に、同表番号1ないし4及び6の五通の約束手形に関する手形保証(昭和六三年七月二〇日付け起訴状別紙犯罪一覧表番号1、3、6ないし8)についてみると、関係証拠によれば、弁護人らの主張するように、番号1ないし4については手形が振り出された日に直ちに手形券面額と同額の現金又は小切手が香港上海銀行に交付され、シー・エルの当座預金口座に入金されていること(番号3については手形振出が年末の一二月三一日であったため翌年の最初の取引日であった一月五日に入金の扱いになっている)が認められるが、番号1については、振出日に四四八〇万円を小切手で被告人が持ち帰っていること、番号2については、振出日に一〇〇〇万円が、シー・エルの神長ボーリングに対する借入金返済のために西日本銀行大名支店のシー・エルの口座に振替送金されていること、番号3については、振出日である一二月三一日に二〇〇〇万円が福岡信販等に対する借入金の返済のために同口座に振替送金されていること、番号4については、やはり振出日に一五〇〇万円が小切手でシー・エルのために出金されていることが認められ、これらの手形保証については、手形保証と同時に銀行に交付された現金、小切手の相当額が直ちに被告人のために費消されていることになり、銀行が同額の経済的利益を得ていないことは明らかであるから、背任罪が成立することは当然である。また、番号6の約束手形に関する手形保証については、関係証拠によれば、振出日である昭和六二年三月一九日に、被告人が、羽山武智雄の入院先に銀行の保証を受けた約束手形を持参し、これと引換えに羽山武智雄振出の額面一億円の小切手及び鹿屋ガス振出の額面二億円の約束手形を受け取り、同日銀行に戻ってこれを宮﨑に交付したことが認められ、結局、二億円については約束手形が交付されたに過ぎないのであるから、現金等が交付された場合とは異なり、銀行が同額の経済的利益を得ていないこととなり、背任罪を構成する。

被告人及び宮﨑において、右の客観的事情を認識していたこともまた明らかである。

七  これに対し、別紙二保証手形一覧表番号7ないし9についてみると、関係証拠によれば、いずれも、各振出日に手形券面額と同額の現金又は小切手が手形保証の行われたその場で、約束手形と引換えに銀行に交付されていることが認められ、結局これらの手形保証については銀行において財産上の損害を生じたと認めるに足りる証拠はない。

八  以上の次第で、主位的訴因中別紙一犯罪事実一覧表記載の約束手形に関する手形保証(昭和六三年六月二五日付け起訴状記載の公訴事実及び同年七月二〇日付け起訴状記載の公訴事実中別紙犯罪一覧表番号1、3、6ないし8)は、いずれも背任罪を構成するものと認められるが、これらは一個の犯意の下に連続して行われた一連の行為であり、包括して一罪と評価すべきものであるところ、右の無罪となる部分(別紙二保証手形一覧表番号7ないし9)も仮に犯罪の証明があればこれらと包括一罪の関係になるので、主文において特に無罪の言渡しをしない。また、予備的訴因(平成二年一月一〇日付け訴因変更請求に係るもの)は、主位的訴因全体が背任罪を構成しないことを前提とする予備的訴因であるから、主位的訴因の一部について有罪の実体判断をした以上判断の対象となりえないものと解するのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、包括して刑法六五条一項、六〇条、二四七条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、自己の経営する会社の倒産を回避するため、約束手形に銀行の保証を得てこれを資金繰りに充てようと企てた被告人が、銀行の支店長と共謀の上、支店長において、その任務に背き、約八か月の間に合計六回にわたり被告人が経営するシー・エル振出の約束手形に支払保証を行い、銀行に合計一一億円の手形保証債務を負担させて損害を加えたという大規模な背任事件であり、銀行のためにその事務を処理する任務を有する支店長である宮﨑によって行われた犯行ではあるが、被告人は、一連の犯行において単に宮﨑の犯行に加功したというに止まらず、専ら自己の経済的利益を図るために、犯行の具体的方法を示唆し、実行行為の一部も分担するなど積極的かつ主導的に犯行に関与したものというべきであってその刑責は重大である。

すなわち、被告人は、被告人の個人会社ともいうべきシー・エルのために宮﨑から正常とは言い難い取引によって与信限度額をはるかに超える多額の融資を受けており、既に宮﨑としては引くに引けない状況になっていたため、宮﨑のその弱みに付け込むような形で取引の継続を求め、これ以上当座貸越を受けることが無理となるや、約束手形を振り出してこれに銀行の保証を得、これを割引に回して資金を入手し、その資金を一旦当座預金口座に入金するという方法を提案して宮﨑の了承を取りつけ、本件犯行に及んだもので、その目的は専ら被告人の経済的利益を図るところにあったというべきである。また、本件の実行行為を見ても、いわゆる不正融資の場合の被融資者と異なり、被告人は、単に宮﨑の背任行為を懇請したというに止まらず、宮﨑が手形保証を行うに際して、自らその都度その基本となる手形行為である振出行為を行っており、その犯行関与の態様も主体的であるというべきである(なお、不正融資発覚後の別紙一犯罪事実一覧表番号6については、被告人よりも宮﨑が主導的役割を果たしている)。このように、自らの乱脈な経営による事業の失敗を糊塗するため、経営状態を回復する見通しもないまま、融通手形等を乱発し、宮﨑を巻き込んで累積債務を増大させていった点は、厳しい非難を免れない。

次に、本件各犯行の結果を見ると、本件は、長期間にわたる正常とは言い難い一連の取引の延長として行われたものであるが、本件の手形保証行為自体、約八か月の間に六回にわたって行われており、支払保証の総額も多額にのぼっている上、手形保証の結果得られた資金は、全て被告人に帰属しており、宮﨑は、何等の経済的利益も取得していない。しかも、本件背任行為が行われた昭和六一年七月三一日から同六二年三月一九日までの期間におけるシー・エルの香港上海銀行に対する累積債務の推移をみると、当初、約一〇億五〇〇〇万円であったものが同六二年三月一九日には約二〇億九九〇〇万円にまで増大しており、その間に香港上海銀行が回収した金額を差し引いても約九億九〇〇〇万円の債務の増加が認められるのであって、右期間内のシー・エルと香港上海銀行との取引が本件各手形保証があって始めてなしえたものであることを考えると、本件によって香港上海銀行が被った損害は甚大であったといわなければならない。しかも、結局、香港上海銀行は、本件を契機に平成元年六月三〇日をもって福岡支店を閉鎖せざるをえないこととなったもので、本件の地域社会に与えた影響も軽視しがたい。

更に、被告人は、公判廷において、本件は正常な取引行為であり、被害を被ったのは香港上海銀行ではなく被告人であると強弁し、反省の態度が全く窺えず、今後の被害弁償の見込みもないことを考えると、その犯情は芳しくない。

従って、起訴された事実のうち一部について犯罪の証明がないこと、本件が当初から計画的に行われたものではなく、一連の過剰融資が累積した結果、それを糊塗するために行われたその場しのぎの犯行であること、支店長である宮﨑が自らの職責を全うすることなく安易に被告人の申し出に応じたこと、銀行の監査体制にも問題がないとはいえないこと、被告人にはこれまで全く前科前歴がないことなど、被告人に有利な諸事情を全て斟酌しても、主文の刑に処するのが相当と判断した。

よって、主文のとおり判決する。

別紙一 犯罪事実一覧表

<省略>

別紙二 保証手形一覧表

<省略>

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